ひとは分かり合えるのか

ひとは分かり合えるのでしょうか。

この問いを考えると、どうしてもガンダムを思い出します。

ガンダムは、私という人間をつくったものの一つです。


戦争。
正しさ。
憎しみ。
すれ違い。
そして、人は分かり合えるのか、という問い。

ニュータイプ。
人と人が、言葉を超えて分かり合えるかもしれない存在です。

言葉にしなくても、相手の悲しみが伝わる。
誤解しなくてもすむ。
争わなくてもすむ。

今思えば、私はそこに希望を感じていたのだと思います。

でも、今の私はたぶん、ひとは分かり合えないと思っています。

少なくとも、完全には。

同じものを見ていても、同じようには見えていません。
同じ言葉を使っていても、その奥にあるものは違っています。

育った場所。
暮らしてきた時間。
傷ついたこと。
大切にしているもの。

そういうものが違えば、見えている世界も違います。

しかし、人はひとりでは生きていません。
誰かと一緒に生きるには、何かしらのルールがいります。

ルールを作るには、合意がいります。
合意するには、少しは相手のことを考えないといけません。

そこに、共感がいります。

でも、その共感がいつも十分にあるわけではありません。

私は、そこが気になっているのだと思います。

共感とは、相手と同じ気持ちになることではないのかもしれません。

相手の中に、自分には分からないものがある。
そう認めることなのかもしれません。

分からない。でも、いないことにはしない。

賛成できない。でも、そう考える理由があるのかもしれないとは思う。

そのくらいの小さな共感がないと、たぶん合意は作れません。

だから私は、ロジカルなものよりも、絵画やアートに惹かれてきたのだと思います。

言葉で正しく説明することよりも、
うまく言えないものを、そのまま置いておくこと。

絵を見るとき、そこに明確な答えがあるわけではありません。
でも、なぜか心が動くことがあります。

分からないまま、見ている。
分からないまま、受け取っている。

人は完全には分かり合えない。
でも、言葉にならないものを通して、少しだけ触れ合うことはあるのかもしれません。

ひとは分かり合えるのでしょうか。

おそらく、分かり合えません。

それでも、少しだけ相手の方を見る。

完全には分からないものを、分からないまま置いておく。

そのくらいしかできないのかもしれません。

でも、そのくらいは、しないといけないのだと思います。